top of page

●離職給付金、初回振り込み

2020年、9月のとある日

会社の本部事務所に呼ばれ、11月15日をもって雇用契約を解除する旨を告げられた。

予想通り、私が勤務していた店舗を含め数店舗の閉店、複数の社員の解雇が順に

告げられていく予定とのことだった。

予想がついていたこともあってか、以外と冷静に受け入れることができた。

それどころか、

異業種で仕事をしてきた期間の方が長かった自分を採用してくれたことや、

休業や時間短縮営業が続いたこの半年間も、会社として精一杯の給料を支払っ

てくれたことに対して感謝の気持ちを伝える自分がそこにいた。。

10月末日をもって勤務していた店舗の閉店。私自身も10月末日までの勤務。

11月1日から15日までは有給休暇の消化期間に充てた。10月の間も 週に

2日から4日くらいの出勤で、有給休暇を消化していった。30日余りの有給休暇を

消化するのも、それはそれでなかなか大変だった。

11月25日、会社から最後の給料が振り込まれ、明細と離職票を渡された。

退職したことを改めて実感すると同時に、頭の中は 今後踏んでいかなければならない

手続きのことに切り替わっていた。

離職給付金の申請。国民健康保険、国民年金への切り替え。

さっそく翌日26日、ハローワークへ。

持参した物は、

離職票、雇用保険被保険者証、マイナンバーの記載がある住民票、

印鑑、通帳、身分証明書(運転免許証)、証明写真(3cm×2.5cm)。

受付に行くと、まずは希望職種や個人情報などを記入する書類が渡される。

書類に記入して次の窓口へ。離職票、雇用保険被保険者証と先ほど記入した

書類等々の内容を確認されて離職給付金が支給されるかどうかの確認が行われる。

私の場合は会社都合の退職と離職票にも記入されているので、確認時間はあっという間だった。

まずはこれで支給資格決定となった。

続いてこの後の段取りの説明がされた。

まず、今日から7日間は仕事をしないでください、と。

その後、本来であれば職業講習会、雇用保険説明会を受けてもらうのだが、

新型コロナウィルス感染防止のため、これらは受けなくてよいとのことだった。

次にハローワークに来ていただくのは初回認定日(私の場合は12月16日)です。

ということで、ハローワーク初日の手続きはこれで完了。

 

一週間後の12月3日、国民健康保険 国民年金への切り替えをしに市役所へ。

切り替えと同時に、国保の軽減制度と国民年金の退職特例免除を申請に。

国保・年金受付票に必要事項を記入するように言われて、記入すると、

「健康保険資格喪失証明書はお持ちですか?」

初めて聞いた。健康保険資格喪失証明書? 持ってない。。

「会社で加入していた社会保険を解約した時に会社から渡されていませんか?」

渡されてない。。

「それでは、離職票のコピーか雇用保険受給資格者証はお持ちですか?」

持ってない。。

離職票はハローワークに提出してしまったし、雇用保険受給資格者証は初回認定日に

渡される予定だった。

「それでは、本日は手続きができません。ハローワークに連絡して、雇用保険受給

資格者証を先に渡してもらえないか相談してみてください。国保の軽減制度を

利用される場合、離職年月日と離職理由を証明する書類が必要なんです。」

知らずにいきなり市役所に来てしまった自分が悪いのは否めないが、

それにしても、お役所というところはこれだからあまり好きになれない。

『今日のところは、これまでかな。。』

結局、書類を用意して再度手続きをしに来ます…と、すごすごと退散。

翌日、ハローワークに 国保・国民年金の手続きで雇用保険受給資格者証が

必要なので、先に渡してもらえるかどうか確認の電話をかけると、

「初回認定日より先にお渡しすることは可能ですが、すぐにはお渡しできません。

来週の半ばくらいになってしまいますね。」

いまの状況を考えて、ハローワークに登録に来る人が日々どれくらいいるかと思

えば、個々の依頼にすぐに対応できないのはなんとなく理解できる。

『仕方ない、待つしかないか。でもその間、けがも病気も無いようにしなきゃ…。』

12月9日、ハローワークから雇用保険受給資格者証をもらって その足で市役所へ。

無事、国保の軽減制度と国民年金の退職特例免除の申請を終わらせた。

16日に再度ハローワークへ。初回認定日の手続きはあっさりと終わり、

二日後の18日には一回目の離職給付金が口座に振り込まれた。

 

ここに至るまで、どれだけの書類を書いたかと思うと ため息が出るほどだった。

が、その後書かなければならない書類の数は こんなものではないことを後々

思い知らされることになる。

想いは、いよいよ個人事業の開業へと強まっていた。

 

​つづく

bottom of page